佐分利敏晴 2006「アニメーションと自然の原理」

in 佐々木正人編『アート/表現する身体』東京大学出版会 

のメモ

風のような眼に見えないものを、アニメーションはどのようにして視覚的に表現しており、あるいはそのようなものをどのようにして知覚することが可能なのか?

 風によって起こる対象の形状の変化は、そのときその場限りの変形であり、複雑極まりない。また、アニメーションは、その独特な作成方法に沿う形で設計・作成されなければならない。アニメーターたちは、計算ではなく感覚によってそれを行っている。

 髪が風になびく様子をアニメートするとき、髪の毛の曲がり方、傾斜など変化の仕方には特徴がある。変化の発生するタイミングは部位によってことなる。変化の発生は、集中的に起こったり、あるいは、全く起こらないことがある。そして、変形と変形のパターンの変化により周期的な運動が構成さる、など。24フレームを全て描くことがコスト的に不可能なため、そうした制約のもとで獲得されていった技術である。

 この髪の毛の変化の仕方には、風という事象に特有の不変的な変形パターンが有る。変形パターンがことなったとしても、その不変的パターンによって、その運動を風が吹いていると知覚することができるようになる。ただし、変形のなかに見られる、風によって作られる不変的変形パターンだけで、それが風によるものだと判断できるわけではない。例えば、よろめいたり、体が動いているために髪の毛が変形したときに、その動きのなかに風によって作られる不変的パターンがあったとしても、それを風と事象を特定するに至らないこともある。

 また、風にも例えば風速によって異なる様相がある。どのような様相であっても、それが風として知覚される。その作り分けはいかにしてか?

  1. 風によって動かされる対象が大きいほど、風による変形の周期が長くなる。
  2. 風速が大きいほど、風による変形の周期が短く、変化が激しくなる。

こうした変化を含みつつ、風という事象にとくとくな変化の仕方を含んでいる。

 

ギブソン*1の順序情報論によれば、

隣接して並んでいる肌理や、それと対になっている光の配列そのものが、配列の構造それぞれに独特な情報を持ち、それが環境の構造を特定したり、対象の位置を特定したりする時に利用できる情報、不変項となっている*2

 アニメートされた画面の時間的な並び順が、動きを特定させる順序と構造を持っており、私たちはそれを動きを特定するための情報として利用する。逆に言えば、何かを――ここでは風という事象であった――アニメートすると言う行為は、その変形する対象の独特な形状を、時間的順序とともに観察、把握し、時間的順序構造をコマの積み重ねによって作りなおす作業になる。

セルアニメーションで表現され作成されてきた風にも、物理学で解析されてきた風にも、そして、私たちが知覚してきた風にも、そこには風という事象とその事象が持つ独特の性質、風の不変項がある。それこそ、ギブソン生態学的心理学で言うところの、知覚される情報である。*3

コメント

 というのが、だいたいのところ。思ったことをおぼえがき

 佐分利が論じているのは、アニメートのなかにある情報がどのような構造をもっているか、そしてその構造が事象とどのように結びついているかということ。さらに、私たちが事象を特定するための条件=不変項の存在。結局、私たちがしていることは、構造化された動きから情報を読み取り、「それが風である」と判断することである。僕はここにどうも怪しさがあると思う。なぜならば、僕たちは動きの詳細を見る前に、「髪が靡いていること」この文面だけで風が吹いていることを判断「しうる」からだ。もちろん、それだけで風であると特定することはできないだろう。

 佐分利の論旨には、動きの仕方とは他の情報があまりに省かれている。この章の頭に載せられている図表を見てみれば、それは明らかだ。横顔がアップされているキャラクターの後ろには空が見え、髪が横に流れている。この一枚絵は、連続した絵の連なりを必要とせず、風の「動き」を提示しているのだ。

 そして、もう一つ。ここで言われたような不変更が存在したとしても、僕たちの判断は、画面の状況の全体性の中で、ある動きをある事象のものだと判断するのではないかということ。「風の不変項とされるもの」を知覚した時点では、それは風と判断しうる事象でしかない。先ほどのように、それが空がバックにあるような屋外であるようなことをわかる前に、それが風であるという判断はできないのではないか。

 

*1:Gibson, J 1950 "The Perception of the Visual World." The Riverside Press

*2:p.166

*3:p.171