響け!ユーフォニアム 再オーディションについてのはなし

ツイッターで書いたことのメモです。あとでまとまった文章にします。

中世古先輩があのオーディションで「納得」できたのは、一つには麗奈と自分の実力が明らかになったことがあるけど、あれが「みんな」を前にしての演奏だったということがあると思う。

久美子は「関西大会進出をかけた戦い」であることを中世古vs麗奈のオーディションのときには気づいていなかったんだ。

中川先輩1年しかやってなくて、久美子との力の差はそれなりにあると示されていたにもかかわらず、オーディションの朝、中川先輩の音をあすか先輩(久美子よりうまい)の音だと勘違いしているんだよね。ここは、「勘違い」するほど上手かった、実際、そうなのかもしれないしれないが

久美子はその音の出所が中川先輩だということに、その音に評価する以前から気がついていたんだろう、と思う

久美子-中川で、久美子が泣いたのは、ちょっと意外だったかも。これもまた、麗奈との夜のせいなのかもしれない

中川-久美子(+中一のときの久美子)と麗奈-かおりで比べるとオーディションは異なる焦点になっていて(オーディションの正当性という観点だけでなく)、前者では「結果を受け入れる」ことであった問題が後者では「諦めないか」選択する問題になっていく。

もちろんオーディションの正当性は問題になるんだけど、それは些末なこと。

ちっこい先輩は初めからどちらがうまいかを問題にしていないように見える。オーディションへの不信は評価が正しくないという点で問題にしていることは事実なんだけど、上手であるかどうか、で選ぶことを問題にしていたように思える。

結果発表のときのざわめきも、麗奈の方がかおり先輩よりも上手いと評価が下されたことについてではなく、そのような評価は抜きにして、麗奈がかおり先輩に優先されたという事実についての反応だったのでは

だから、オーディションへの不信は、特に麗奈にとっては上手いか否かという点において問題化されたのだが、ちっこい先輩にとっては、贔屓によって評価が曇ったと指摘することは、上手さだけでだけではなく、別の基準があったのではないかと問題化する手立てでもあった。

で、12話?のみんなの前でのオーディションは、高坂麗奈と中世古かおりの「上手さ」を競うコンテストでありながら、その基準をどちらに取るかという判断を迫る機会でもあった、のではないかな。「あきらめないで」と懇願することは、その基準をずらすことも可能なんじゃないかという提案でもあった

でも中世古先輩は、単に「上手さ」で争うことを決め、その基準において麗奈をとるべきだと進言したと。それは、何よりも、「全国優勝」が全員の中で統一されていたってことでもある(そして、それを中世古先輩は自分で強く感じていたし、全員の統一を、全員を前にしてみることができた)のだろう。

あすか先輩がドウデモイイって、問題を避けるの、徹底的に「良い音」を基準にしているからであって、その点がぶちょーからすればあすかを頼れない理由になっている。集中力を欠いていること、先生・メンバーへの不信といった問題に加え、「どちらがふさわしいか」という問題は、それだけでは解決しない

ぶちょーは「このままでは金賞はおろか、銀賞も危うい」と言っていて、この部活が「全国」を志向していることを示している。そして、この志向そのもには部員は当然のものとして受け入れている。

ちっちゃい先輩はオーディションの「結果」に不満があると言ったけど、オーディションの基準を問題にしていたはず。

その光景を前にして、そういう了解のある部員たちによる判断は、いうまでもなく、「上手さ」を基準として選考することであり、それを知っているからこそ、ちっちゃい先輩は限りなく薄い勝算にかける中世古先輩を直視することができないし、涙がこぼれてしまう。

その中で手を挙げる中世古先輩、かっこよすぎ。ちっちゃい先輩は知っていたからこそ直視できなかったのに、中世古先輩も同様に知っているにもかかわらず、ビシッと手を挙げ敢然と立ち向かう。中世古先輩はこうなってしまえば負けだと初めから気づいていて、自分のエゴと戦うために手を挙げたのだと思う

訂正:中世古先輩は勝ち負けは最初から問題にしてなかった。

考え直してみたけど、ここがターニングポイントだったとおもう。あのざわつきは、あるべきでないものだったhttps://t.co/8Z50IkoJ1Q

中川ー久美子の会話では、「偶然」上手いと評価されたということを久美子は示していて、それはやはり「上手さ」が絶対的な基準となってはいた。一方で、麗奈と中世古先輩については、すでに部内で評価としては決していたようにみえる。

にもかかわらず、あそこでざわめきが生じてしまったのは、部内において、「誰が演奏すべきか」という判断の基準についていまだ「上手さ」が絶対的なものではなかったせいであったと。

滝先生は、「良い音」は「聞けば」わかってしまうという確信の下で、みんなの前で「音」をきかせるわけだけど、滝先生はちょっと勘違いをしている。ざわめきの理由は、どちらが「良い音」を出せるかということではなく、ほかでもない「中世古先輩が演奏しないこと」にあったのだから

部員が拍手をできなかったのは、むろん、やりづらいというのはあるけれども、どちらがやるべきか、それを判断する「基準」について迷っていたってのも挙げられるだろうと思う。