艦隊これくしょん:2つの戦争

大人たちの戦争

艦これアニメは榊原良子のナレーションによって始まる。

至誠に悖るなかりしか

言行に恥づるなかりしか

気力にかくるなかりしか

努力に憾みなかりしか

不精に亘るなかりしか

 

海の底から出現する謎の艦艇群。それらを人類は深海棲艦と呼称した。駆逐艦級から超弩級大型戦艦まで多彩を極める深海棲艦の攻撃によって人類は制海権を喪失。

その脅威に対抗できるただひとつの存在、それが在りし日の戦船の魂を持つ娘たち、艦娘である。

艤装と呼ばれる武器を装着し、生まれながらにして深海棲艦と互角に戦う能力を持つ彼女たち。その活躍により、制海権奪還に向けた反攻作戦が開始されようとしていた。

 このナレーションと色調の低い画面構成によって、嫌でも陰惨な戦争のイメージを植えられないわけにはいかない。艦娘たちには戦争が運命づけられ、当然傷つくことが予想される。

 

子供の戦争

しかし、吹雪が主人公として鎮守府に着任するときには、そうした戦争のイメージは抹消され排除される。あこがれの先輩赤城の言葉に浮かれ、実戦経験がないことを恥ずかしがって嘘をつく。その姿に先の戦争を結びつけるのは無理な話だ。むしろそこでは死の潜む戦争は、ゲームにとってかわる。

「慢心は禁物だ」

「誰にいってるのかしら」

 慢心の先には、轟沈がある。戦うのは彼女たちにもかかわらず、なぜこういえるのか。経験不足でありながら、それを偽り海を走ることも危うい状態で戦地に赴く。戦闘が戦争であるならば、失敗は直接死に結びつく。吹雪の失敗は恐怖を一瞬見せるにとどまり、先輩によって救出される活躍劇に姿を変えていく。

 

吹雪視点の鎮守府はあたかも学園都市であり戦争は試合となった。

 

重ね合わせ

こうして2つの戦争が提示される。部活もののごとく描かれた1話であるが、戦争の予兆はたしかに提示されていた。この反転した2つの戦争はどう関わり合っているのだろうか。

 

榊原のナレーションが終わり、翔鶴が曇天の空に矢を放つ。その矢は赤城の放つ矢と同期され、晴天に飛ぶ艦載機へと変わる。この2つは時間的にもつながっていることが後に示されるのだが(翔鶴たち第四艦隊は遠征=偵察行動をしていた)、つながっているのは時間だけでなく、同時に吹雪にも接続されている。赤城・翔鶴が空に矢を放つその頃、同じ空を吹雪は綺麗だと思う。この描写によって、大人と子供にとっての戦争のイメージが、その異なる様態が重なり合わさっていく。同じ空が戦争と、新天地での出会いや物語と、結びついているのだ。